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群馬を取り上げていただき、ありがとう。
「碓氷線」という呼び方は、正直耳慣れません。たしかに「信越本線の横川~軽井沢間」と説明するより手っ取り早いので、俗称としては存在したようです(Wikipedia調べ)。
地元民です。鉄道時代は「信越本線」「信越線」とは呼んだけど、「碓氷線」という呼び方は聞いたことも見たこともないです。横川〜軽井沢なら「横軽」ですね。一方、「碓氷線」とは、在来線の横軽の代替でJRバスが運行している横川〜軽井沢間の路線をそう呼ぶことはあります。
アプト鉄道のラックレールを連結した物が、現在でもグレーチングとして活用されていますよ
私も見た事がある。
高崎駅から軽井沢駅まで、かつての在来線では特急・急行で約1時間。1時間に1本以上あった。各駅停車もあったしかし今、高崎から軽井沢に行くのは高い料金を払って行くしかない旅の醍醐味が感じられない各駅停車と峠越えの路線バスという手もあるけど、やっぱり在来線のほうが楽しかった
乗れてたの羨ましいです。鉄道文化むらにはよく行っていた身なので信越本線に特急が走っていたシーン見てみたかったです。
便利さには勝てない………
「新潟県中越地震」の砌、丁度群馬県内でモーニング娘。のライブが行われていたが、観客の多くが「帰宅難民」と化した。もし「碓氷線」が残っていたら、その様な事態が生じる事が無かったかもしれない。それに「碓氷線」が廃止になった事で物流に支障を来している。
今は代行バスがあり旧道を走るので座席にエチケット袋が備え付けてある。
碓氷峠の説明は、新線と旧線は分けたほうが良いのでは?これでは聞いた人がごっちゃにならないかな?
「碓氷馬車鉄道」は廃止前は「碓氷旧線」建設の為の資材を運んでいた。
北の山間部は馬車鉄道が走ってた。(鉄道とは言うがバスの規模だよねぇ)ブラタモリで廃線跡地を巡っていたけど傾斜がキツい!
日本の乗り物で初めてカラー映像で日本人が目にしたのが草軽電気鉄道、そして北軽井沢駅ですね日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」の象徴的なシーンです他にも教科書の山田耕作や現在103歳の最高齢ピアニスト室井摩耶子が本人役で出演した名画「ここに泉あり」にも高原を走る草軽電気鉄道が出てきます
渋川から沼田までの根利軌道と赤城山にロープウエイがあったとか
赤城山はケーブルカーもありましたね覚満淵から小沼に行く途中にある記念館は元ケーブルカーの赤城山頂駅舎で国の登録有形文化財にもなってます(プラットホーム跡も現存)
吾妻線の太子線も、長野草津原駅の北西に橋梁が残っていたりする。こちら側を草津温泉まで延伸していたなら、温泉巡りが楽になっていた。
草軽電鉄の代わりになっていたかも。
えいの連発、私は大好きです
東武徳川河岸線(木崎~徳川河岸)、東武仙石河岸線(西小泉~仙石河岸)いずれも貨物専用線でした。
群馬県内の駅近くの側溝のふたにアプト式のラックレールが使われている。
伊香保線残ってたら豆腐屋の86と路面電車の熱い複線ドリフトバトルが見られたのか
改良されて、「りょうもう」が乗り入れていたかもしれない。
・吾妻線の長野原駅(現、長野原草津口駅)から六合村(くにむら)方面、太子駅までの長野原線。太子駅は整備されました。・赤城山の地蔵岳のロープウェイ(東武系?)・赤城山の鳥居峠までのケーブルカー(東武系)。鳥居峠の休憩所の裏手に駅の名残あり。・吾妻線、川原湯温泉駅~(八ッ場ダム)~長野原草津口駅の旧線。ダムに沈む。・上毛電気鉄道、赤城駅から埼玉県本庄市の(当時の国鉄)本庄駅への延伸計画があり。県境の橋は東武鉄道と市?が作ったとか・・・現在は普通に自動車の橋として使用。・わたらせ渓谷鉄道(旧足尾線)の草木ダムに沈んだ区間。(栃木県になりますが、終点の間藤駅の先)橋の架け替えなどで若干、旧線はありますが・・・とりあえずこんなところでしょうか…
懐かしい、1日中山道だw
500人もの犠牲を出しながら開通したのに技術が進歩して新幹線が開通したらポイ…今横川に招魂碑が建っているが500人の霊魂は何を思う…😢😢
安中の板鼻に鉄道橋の土台だけ有るよ
大正時代に設立された上州電気鉄道の遺構です。
吾妻線の廃線があった!
どの線も残ってれば観光に役立ちそうだったのにやはり維持に金が必要だったか
次は栃木県か、それとも茨城県か?
アプト式!
群馬を取り上げていただき、ありがとう。
「碓氷線」という呼び方は、正直耳慣れません。たしかに「信越本線の横川~軽井沢間」と説明するより手っ取り早いので、俗称としては存在したようです(Wikipedia調べ)。
地元民です。
鉄道時代は「信越本線」「信越線」とは呼んだけど、「碓氷線」という呼び方は聞いたことも見たこともないです。
横川〜軽井沢なら「横軽」ですね。
一方、「碓氷線」とは、在来線の横軽の代替でJRバスが運行している横川〜軽井沢間の路線をそう呼ぶことはあります。
アプト鉄道のラックレールを連結した物が、現在でもグレーチングとして活用されていますよ
私も見た事がある。
高崎駅から軽井沢駅まで、かつての在来線では特急・急行で約1時間。
1時間に1本以上あった。各駅停車もあった
しかし今、高崎から軽井沢に行くのは高い料金を払って行くしかない
旅の醍醐味が感じられない
各駅停車と峠越えの路線バスという手もあるけど、やっぱり在来線のほうが楽しかった
乗れてたの羨ましいです。鉄道文化むらにはよく行っていた身なので信越本線に特急が走っていたシーン見てみたかったです。
便利さには勝てない………
「新潟県中越地震」の砌、丁度群馬県内でモーニング娘。のライブが行われていたが、観客の多くが「帰宅難民」と化した。
もし「碓氷線」が残っていたら、その様な事態が生じる事が無かったかもしれない。
それに「碓氷線」が廃止になった事で物流に支障を来している。
今は代行バスがあり旧道を走るので座席にエチケット袋が備え付けてある。
碓氷峠の説明は、新線と旧線は分けたほうが良いのでは?これでは聞いた人がごっちゃにならないかな?
「碓氷馬車鉄道」は廃止前は「碓氷旧線」建設の為の資材を運んでいた。
北の山間部は馬車鉄道が走ってた。(鉄道とは言うがバスの規模だよねぇ)
ブラタモリで廃線跡地を巡っていたけど傾斜がキツい!
日本の乗り物で初めてカラー映像で日本人が目にしたのが草軽電気鉄道、そして北軽井沢駅ですね
日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」の象徴的なシーンです
他にも教科書の山田耕作や現在103歳の最高齢ピアニスト室井摩耶子が本人役で出演した名画「ここに泉あり」にも高原を走る草軽電気鉄道が出てきます
渋川から沼田までの根利軌道と赤城山にロープウエイがあったとか
赤城山はケーブルカーもありましたね
覚満淵から小沼に行く途中にある記念館は元ケーブルカーの赤城山頂駅舎で国の登録有形文化財にもなってます(プラットホーム跡も現存)
吾妻線の太子線も、長野草津原駅の北西に橋梁が残っていたりする。
こちら側を草津温泉まで延伸していたなら、温泉巡りが楽になっていた。
草軽電鉄の代わりになっていたかも。
えいの連発、私は大好きです
東武徳川河岸線(木崎~徳川河岸)、東武仙石河岸線(西小泉~仙石河岸)いずれも貨物専用線でした。
群馬県内の駅近くの側溝のふたにアプト式のラックレールが使われている。
伊香保線残ってたら豆腐屋の86と路面電車の熱い複線ドリフトバトルが見られたのか
改良されて、「りょうもう」が乗り入れていたかもしれない。
・吾妻線の長野原駅(現、長野原草津口駅)から六合村(くにむら)方面、太子駅までの長野原線。太子駅は整備されました。
・赤城山の地蔵岳のロープウェイ(東武系?)
・赤城山の鳥居峠までのケーブルカー(東武系)。鳥居峠の休憩所の裏手に駅の名残あり。
・吾妻線、川原湯温泉駅~(八ッ場ダム)~長野原草津口駅の旧線。ダムに沈む。
・上毛電気鉄道、赤城駅から埼玉県本庄市の(当時の国鉄)本庄駅への延伸計画があり。県境の橋は東武鉄道と市?が作ったとか・・・現在は普通に自動車の橋として使用。
・わたらせ渓谷鉄道(旧足尾線)の草木ダムに沈んだ区間。(栃木県になりますが、終点の間藤駅の先)
橋の架け替えなどで若干、旧線はありますが・・・
とりあえずこんなところでしょうか…
懐かしい、1日中山道だw
500人もの犠牲を出しながら開通したのに技術が進歩して新幹線が開通したらポイ…今横川に招魂碑が建っているが500人の霊魂は何を思う…😢😢
安中の板鼻に鉄道橋の土台だけ有るよ
大正時代に設立された上州電気鉄道の遺構です。
吾妻線の廃線があった!
どの線も残ってれば観光に役立ちそうだったのにやはり維持に金が必要だったか
次は栃木県か、それとも茨城県か?
アプト式!